ごりちゃんは、時には二枚目に見えることがあります。
しかし、普段は三枚目で、バンカラの部類。
本人も、片岡鶴太郎を見たとき、なんて自分に似てるんだろうと思ったそうです。
結婚式では、水泳部の恒例であるかっぱ踊りを、皆さんで披露してくださいました。
初めて見たのですが、バンカラそのものでした。
ごりちゃんとの出会いは、お見合いです。
うん十年前のことですが。。。
そのころ、統計パッケージを使った仕事をしていました。
長期問題検討委員会という臨時の組織のお手伝いでした。
特別会計へ移行するための予測資料などを作成するため、コンピューターの統計パッケージを使って、プリントアウトするのが私の仕事でした。
大型計算機しかない時代でしたが、統計パッケージだから、データを入れれば、ぱぱっとグラフも数値も出てきます。
多変量解析ソフトのBMDPというパッケージもあって、時系列分析のパッケージと一緒に、いろいろやって遊んでました。
そのとき、長期問題検討委員会には4人のメンバーがいて、もちろん皆さん私より年上ですが、一人すごくかっこいいM氏がいました。
二枚目で、性格もすごくいい人でした。
理想的な人でしたが。。。
病院理事長の娘婿だったので、お金が財布にはざくざくはいってました。
いつも、全員分の食事をおごってくれました。
半分ふざけて、パンチ室の人にもデータ入力を手伝ってもらうので、
「この仕事をやったら、ケーキをみんなにお礼にほしい」、なんていったこともあります。
パンチ室の女性達と、大きなホールケーキをおいしくいただきました。
私の職業歴の中で、もっとも楽しい時期でした。
かなり、ちやほやされて、おだてられてました。
とはいうものの、多変量解析で分析してみようというときには、私よりも後輩の人たちのグループを参加させて、その人たちがやることになりました。私は単なる大型コンピューターのオペレーターのようなものでしたが。。。
そのときの長期問題委員会のトップ二人は、その後最高ポストにまで上り詰めました。
多変量解析自体は、日本ではあまり使われていませんが、その当時から、アメリカなどでは、がんがん使われていたようです。
私の大好きだったM氏は、結婚式の司会もお願いしちゃいましたが、そういうことがとても似合う人でした。その後、アメリカ勤務になり、帰ってきた直後、辞職して、故郷に帰り、大きな病院の理事長になりました。
その当時、統計関係の言葉を調べるのに、母校の数学教室に通いました。
母校の数学教室の図書室は卒業生も借りられました。
数学科の図書室には、長い間勤めているHさんというおばさんがいました。
生き字引のような人で、すべてを取り仕切って、支配していました。
そのおばさんと、いろいろとお話しするようになりました。
私はそのころ、そろそろマンションでも買おうかなと思っていました。
「結婚しても、自分の家は持っていたいから」
といったら、
「自分だけの家なんてだめ、夫婦は一緒に住まなきゃ。出世したかったら、結婚しなきゃだめ。写真を預かって、紹介してあげる」といわれました。
女はいくらでもいる、と、いってました。
私は、もうすぐ30という年齢だったのですが、紹介してくれるという相手は、バツ1で3人の子持ちなどでした。
バツ1でも子持ちではない人がいい、といいました。
最初に紹介しようかしらといわれた話の人は、どういう人か別の人に聞いてみると、かなりかっこいい人だそうで、期待してましたが、あえませんでした。
その後、おばさんとおしゃべりしていて、
「私の職場の男性で、そばにいる人は、ハゲチビお金がない、の3拍子そろっていて・・・」としゃべったとき、おばさんの顔を見たら、顔が引きつっていました。あ、まずいこと言っちゃった、気がついたけども、後の祭り。
おばさんは、女性ですが、かなり髪の毛が薄く、出歩くときは、いつも帽子をかぶっています。ハゲという言葉は禁句でした。
そんな失言をしたため、今の夫を紹介されたのかもしれません。
実家の母は、
「前の奥さんは、さっさと逃げ出して賢かったかもしれないよ」とか、
「義理欠く、礼欠く、恥欠くの三欠く精神だね」とか、
「離婚するならしなさい」
といいました。
しかし、母は支配欲が強く、お嬢様育ちのわがままな性格であり、離婚して、母に頼るのは、ちょっと危険だと思い、思いとどまりました。
夫は、
「離婚すれば、他人だ」といいます。
バツ1なので、そういう考えらしいですが。
夫の前の結婚と離婚も、Hさんが仕切ったそうです。
前の奥さんは、結婚後半年ぐらいで家を出てしまったそうです。家を出てから、半年後くらいに正式に離婚し、その後、半年か、1年くらいたった時、私とお見合いしたようです。
新婚旅行の時、夫がベッドでグーガー昼寝をしているのを、そばで見ていたら、びっくり仰天して、怯えていました。
前の奥さんと勘違いしたのでしょうか?
きっとすごい結婚生活だったのでしょう。
かなり強引に、仲人言葉を吹き込まれて、会いましたが。。。
2回目のデートと3回目のデートの間に、職場の親睦旅行があり、ひどいセクハラをされました。
あまり思い出したくないので省略。
それで、もうこの相手に決めてしまおう、結婚しようと、決心しました。
夫のほうは、
「君が学生のときに見かけたことがある。そのときから好きだった、見合い恋愛だね」
と調子のいいことを言っていました。
毎日電話をかけてきて、
「今、江ノ島にいるんですけど」
なんて、いう人なので、ほんとかどうかわかりません。
「見かけたことは本当だよ」
といいますが。。。
私の所属するサークルと、彼の所属するサークル、そして、彼が入り浸っていたプールが同じ建物にあり、数学科の建物のすぐそばでした。
だから、すれ違っていてもおかしくはないけれども。
「フランスから帰ってきたとき、死にそうだったんだよ、そのとき、君を見て・・・」みたいなせりふも言ったりして。。。
結婚するまでには、いろいろありました。
それは省略。。。
仲人のHさんは、すべてについて指図しました。
「結婚式の仲人さんは○先生、お礼はX○万円、恩師のF先生に挨拶に行きなさい、A子さん(私のこと)のお父様のところに会いに行きなさい、結婚した後、私(Hさんのこと)へのお礼は20万円でいいわよ。。」
後で夫に聞いたところ、このHさんは、くっつけるところから、離すところまで、つまり、結婚離婚すべて、面倒を見るそうです。
夫とHさんは20年来の付き合いで、夫は話を聞いてあげる役目だそうです。
結婚式の時、Hさんは、
「私は、大学での親のような役割です」なんて、話をしていました。
かなり、夫とは親しいようで、結婚してからも、ずっと夫と長電話しています。
(今も時々長電話しています、通話記録でわかります)
Hさんの夫は、防衛大学の数学の先生でしたが、私と夫が結婚するちょっと前に、自殺されました。
その自殺前夜、夫のマンションに寄ったそうです。
そこで、そのとき、
「何を話したか、言いなさいよ」
と、しつこくHさんは聞き出そうとするそうですが、夫は教えてあげないそうです。
そういうところは、なぜか口がかたくて、びっくり。。
そのHさんについては、結婚後も、お世話になりました。
夫のことについて時々、相談したり、間に立ってもらったりしました。
「私は女性の味方よ」といっていて、私は、私の味方だと思っていたのですが。。。
今住んでいるマンションへ引っ越した直後、遊びに来ていただいて、いろいろ夫のことをいさめてもらおうとしたときのこと。。。
突然、
「うちの息子だって、こんな立派なマンションに住んでないわよ」と怒り出したのです。今住んでいるマンションは、住宅債券を積み立てて、倍率2倍であたったものでした。
住宅債券がなく、市内在住でもない人は、100倍の倍率の人気でした。
広さは、4LDKで、90平米超。
今となっては大したことありませんが、市内の一戸建てに住んでいる母も、
「車をおかせて」と頼むような駅から近い便利なマンションでした。
Hさんは、夜遅くなると、台所の洗い物を始めました。
「汚い台所のままで寝るのは嫌なの」
結局、Hさんは、居間にお泊りになりました。
Hさんは、実家からのお金で女中さんを雇って、仕事を続けていたそうです。
私は女中さんなんていませんし、実家もそんなお金を出すような金持ちでもありません。完璧に一人で家事をこなせませんし、夫が家にいることが多いので、夫にも家事を分担してもらおうと思っていました。
私の味方だと思っていたHさんが、突然本性を現したという感じ。
大学の先生って、昔はもっと地位が高かったようですが(Hさんの話を聞くと)、私は、大学の先生は、暇だから家事が手伝ってもらえる、なんて程度の認識でした。
夫の問題で、興信所に相談しようとして、いろいろ話したとき、このHさんのことを話しました。
「それはプロですね、本当はいけないんですけど。免許がいるんですよ、結婚紹介は」
Hさんのことをある教授はうらんでいるそうです。その教授のお嬢さんの結婚をHさんが世話したのですが、無理やり離婚させたそうです。
夫が家計にお金を入れないから、という理由で、別れさせたそうですが、
教授のお嬢さんは別れたくなくて、ずっとまだ未練を持っているそうです。
お葬式などでは、このHさんが取り仕切るそうです。
結婚を成立させて、20万円の報酬というのは、その当時の初任給二か月分以上でしたから、かなりいいアルバイトだと思います。