仕事が全部なくなった話についての後日談

二人目を妊娠中に、私は、TOEICの成績が730点とよかったため、親会社に当たるところの英語研修を半年間受けることになり、かなり宿題に時間をとられていた。

そのころの仕事は、Yama○氏が企画していた統計情報データベース設計に参加したり(外注先との会議に座っているだけ)、統計パッケージを使ったリスト作成(長期問題検討委員会の仕事の続きで予算用)などに加えて、今回英語研修を受けていることから、外国関係の担当をすることになっていた。

産休直前に、隣の席にいた女性が、昔からある統計システムの担当で、30歳近い年齢になって初めて、COBOLのプログラミングをする仕事を割り当てられていた。
組合関係の役員をしていた事務系職員で、隣で見ていてもかわいそうなくらい詰まっていた。上下関係も、担当も関係なかったけれども、ちょっとだけ教えてあげたりした。

そのとき、直属の上司Koji○氏から、隣の女性の仕事を一つ、私がやれと命令された。

すでに期限切れの統計リストで、フォーマットはどうでもいいから、とにかく数字がほしいという仕事だった。通常であれば、1ヶ月くらいかかる仕事だけれども、ツールをいろいろ使って、応急処置で、統計表のプリントを作成するということで、2週間でこなした。

しかし、数年後になってから、課長の隣に座っているある男性から、私の評判について、とんでもないことを聞かされた。
「プログラミングの仕事をやらせると、期限は遅れるし、リストはちょん切れているし、全然仕事ができない人間だと、言われている」

調べてみると、そのプログラムを使って統計リストを作成するのは、一回限りだったはずなのに、その後何年もずっと使われていた。

まさか、そんな話が、そんな評判ができあがっているとはまったく知らなかった。

その当時、私は、英語の翻訳をしていたが、それくらいしかできない人間だから、やらせておけ、というストーリーが出来上がっていたのだ。

どこで、誰が、そんな話を捏造したのか知らないけれども、いまさら、それはこうでした、なんて、言いたくても、誰にいえばいいのかもわからないし、私は、ただ驚くばかりで、どうすることもできなかった。