夫が、最初の発作を起こしたのは、確か2000年の11月だったと思う。
夜、いつものように、お酒を飲んで、下品な悪口を言い始めた。
聞いているのも、嫌な悪口を並べて怒り始める。
毎日毎晩、これだから、本当に、離婚したいと思うが、お酒が抜けると、別人のようになる。
一見まじめで、おとなしい人が、一杯のビールを飲み干すと、目つきがすわり別人のようになる。
ジキルとハイド氏みたいだと思っていた。
フランスに一時行っていたことがあって、そのときは、子供と一緒に、
のんびりすごせた。
たった半年ぐらいだったが。
その発作は、一瞬何が起こったかわからなかった。
顔の形相が、怒りの表情というだけではなかった。
目が異様につりあがり、口はよだれをたらしながら、ぎりぎりと食いしばり、顔じゅうしわだらけにしながら、声も出ず、手足も突っ張り、まるで地獄の苦しみを味わっているようだった。
息はとまっていた。
呼吸しようにも、できないようだった。
何分続いただろうか。
何とかしなくちゃと思っても、私は、悲鳴をあげるしかできなかった。
親なのになさけないと思うがそれほど恐ろしかった。
このまま死ぬのかと思った。
きっと、その状態がずっと続いていれば、死んだのかもしれない。
ある小説家の悲惨な小説の一部に、そんな発作で、死ぬ話が書かれている。
長女が、救急車を呼んでくれた。
救急車の人が、来てくれた。
10分か、そこらだったと思う。
しかし、夫は、うそのように眠ってしまっている。
起こすと、さっきのことはまったく覚えていないので、病院なんか行かないと言う。
子供たちが、泣きながら、頼んだ。
私の言うことは聞かないが、子供の言うことは聞く夫だ。
病院に着き、いろいろ検査をした。
脳梗塞を起こした痕跡があるという。
発作だと思えるような発作は起こしていなかった。
しかし、考えてみると、三年くらい前、つまり、1997年ころ、変だと思ったことがある。
顔が、左右対称ではなく、ひょっとこのような顔をして、ご飯をぼろぼろこぼす。
「どうしたの、けんかでもして、殴られたの」と聞いた。
答えなかったが、考えてみると、おかしかった。
次の日も専門外来に来てくださいと言われた。
結局、「アルコールをきっかけとして、脳梗塞を起こした場所が、てんかん発作を起こしたのでしょう」と言われた。
私も、子供達も、本当にショックを受けた。
子供たちのほうが、私よりも、もっとひどいショックを受けたかもしれないと、考えてあげるゆとりもなかった。
その後、虎ノ門病院に行ったら、「アルコールをやめない限り、命の保障はしない」と言われた。
しかし、夫は、その場では、はいはいと、従順な態度をしながら、家に帰ってから、「久里浜病院へ行こう」という私に、「アルコールをやめるくらいなら、死んだほうがいい」と言った。
私も、あきれ果てた。
その後、いろいろ事情があって、私がお金をすべて管理するようになると、お金をできるだけ渡さないようにしなければならなかった。
少しでも渡すと、お酒を買うからだ。
お金を渡さないと、家にある私の本や、置時計、ノリタケのティーセットなどを、質屋とか、古本屋へ持っていって、お金を手に入れた。
私は、大事なものは、買い戻しに行った。
その後は、自分の部屋に、鍵をかけて、しまっておき、いっぱいになると、娘の部屋に寝るようになった。
越後湯沢に、マンションを買ったのも、大事な本を置く場所を作るためだった。
やっと自分の部屋で寝られるようになった。