ごりちゃんは元気でした

6月は、脳梗塞を起こしやすいらしい。

数年前、阪神麻痺になったのも、6月。

今回も6月。

歩けていたし、普通に見えていた部分もあったので、何がなんだかわからなかった。

おまけに、最初に連れて行った病院で、誤診されてしまった。

あれは、わざとではないか?

アルコール性精神病とか、コルサコフ症とか。

そういう診断だった。

湘南鎌倉病院は、立派な病院になったので、昨年夏、古いほうの病院で、野戦病院のような状態のとき見てもらったときに、新築されると効いて、新しいほうの病院で見てもらいたいと思った。
しかし、関連病院の日野病院に行ってくださいと、言われただけ。

アンドロイドで調べていたら、連絡バスがあったそうだ。

朝になるまでまって、タクシーで行ってくださいといわれた。

夜中の12時に、診察室でそういわれ、朝まで、夫のおもりをして、くたびれ、朝の5時ごろ、疲れ果てて、帰りたいと思った。

それから、1週間、夫の状況は、一進一退。
朝、ガスレンジで、ブロックを燃やしていた。

病院を本気で探し、家人も一緒に言ってくれるというので連れて行ったら、脳梗塞だった。

湘南鎌倉病院を、訴えたいけれども。
お金がない。
医療訴訟は、大金がかかるらしいし、あまり勝てないらしい。

そういうわけで、その後、いろいろあって、今は、夫は介護施設に居る。

とっても元気だった。

健康にいいかもしれない。
お酒も飲めないし、食事も管理されている。
長生きしそう。

ただ、高次脳機能障害だけれども。

夫の悪口書いちゃうもんね。。。

うちの夫は、アルコール依存症で、痛風、脳梗塞半身麻痺、蜂窩織炎の既往があり、さらに借金をどっさり作ったサイテー人間。

今は、無職年金生活だけれども、住宅ローンがあるので、夫の年金だけでは、まったく足りない。

私が、働き続けなければ、生活を維持できない。

それなのに、それなのに。。。

私のご機嫌取りをすることもあるけれども、昨夜、ねぼけたのか、夫は、ケーブルテレビの録画設定をしようとした私に対して、なんと、威張りちらしたのだ。

そして、
「さっさと寝ろ、けりを入れるぞ」といって、本当にけったのだ。

昔、酒乱だった。

今は、お酒を飲めば、歩けなくなるから、とほとんど飲まないはずだし、私も、お酒を買わないようにお金を渡していない。

しかし、玄米と鰹節のふりかけの食事で、尿酸値が6にまで下がったため、痛風になる可能性は、ほとんどゼロになってしまった。

昨年からあった、歩けなくなる症状は、どこがどうなのかわからないけれども、足の動脈瑠については、自然にバイパスができているのだそうで、確かに血管は細くなっているけれども、血流は確保されているとのこと。

だから、今は、そこそこ歩けているので、平気みたい。

しかし、昨年来、歩けなかったために、家の中で病人扱いで、テレビの前の特等席にいつも居座って寝ているので、私が大好きなテレビを見るのに、非常に困っている。

最近は特に、中国ドラマの「朱元璋」にはまっている。

私が録画しておいたドキュメンタリーや放送大学など、手当たり次第に見ている。

私が見る暇が無い。。。

DVDに落とす操作をしないとハードディスクがいっぱいになっちゃうから、と、休みの日は、夫をどかして、せっせとダビングする。

それ以外は、テレビのチャンネルを占領して、さらに横柄な態度。

夫には、毎年印税が入る。
一万円ちょっとなのだけれども。

今年の初め、夫が歩けないときに、郵便為替が来て、私がいただいちゃったのだけれども、私のことを泥棒と呼ぶ。、

ちょうどピンチだったので、ありがたかったですけど。。。

家のやりくりを私の給料すべてを使って、何とかやりくりしているのに、泥棒はないでしょう???

老後、私も退職して年金暮らしになったときに、チャンネル争いをするなんていう醜い状態になるかも。

J-COMの二台目を取り付けようと思う。、

ちょっと事情があって、すぐにはできないけれども。

それとも、引っ越して、別居し、私は、スカパーを契約することにするほうがいいかも。

面倒見切れない。

ごりちゃんは、妻よりも娘が大事

なんと、ごりちゃんが、歩けるようになりました。

そのいきさつは、私としては、本当に頭に来る話。

何度も何度も、「お風呂に入ってから病院にいこう」と声をかけつつ、まったくお風呂に入らず、救急車で運ばれた昨年の夏も、病院で臭いと言われ、看護婦さんが迷惑するんですよね、と、ごりちゃんの足を拭いてくださいと、床掃除用らしき使い捨ての紙でしたか、布でしたか、忘れましたが、それと、バケツを渡されて、ごりちゃんの足を、拭く羽目になった私。

何年も積もり積もった垢は、ちょっとやそっとなでたくらいでは取れずに、ほとんど変化がないまま、作業を終了してしまったのでしたが。。。

今回、歩けなくなった夫は、とは言うものの、足がかなり痛いというだけで、人が見ていないときに、ちょっとだけ伝い歩きしていたらしいのですが。。。

足が痛くて、外へ出られず、お酒が飲めなかったんで、病状は回復しているようです。

その夫が、なんと、お風呂大好き人間になり、毎日3~4回も入ってます。

きっかけは、娘の言葉:「お風呂に入ると血行がよくなるらしいんだよね」
血行が悪いので、足が痛いらしいということは、先日見たテレビ番組で、学習したごりちゃんは、早速、お風呂に入りました。

私が、「お風呂に入ってよくなったの」ときいても、うるせ、としか答えなかったのですが。

今朝ついに、お風呂で、少しずつよくなっていると白状しました。

今は、ごみ出しも、完璧にできるようになりました。

先日、夫を病院に連れて行きました。

バスです。

介護タクシーなんか、いやだな、と思っていたら、しっかり歩いて行けました。

もちろん、ゆっくりゆっくり歩いているわけで。。。

往復、かなりの距離を歩いてきました。

なんとか、薬ももらってきました。
痛み止めの薬は、私が保管することにしました。

腎臓が悪くなるので、使いすぎてはいけないのに、ついつい使ってしまっていたらしく、寒い寒いを連発していましたが。痛み止めがなくなって、お風呂に入るようになってからは、寒がりではなくなりました。

歩いたせいで、足が痛くなったとか、言ってましたが。

毎日お風呂に入って、直しているようで、どんどん歩行も上手になってきました。

今まで、お風呂に入らないということで、さんざん恥ずかしい思いをしました。

何しろ、見た目が、普通じゃないですから。

それが、今は、家中で一番キレイ好き!!

お風呂で、足のために、なんかやっているようです。
あんなのどうでもいいけど、ご機嫌で、オフロスキーとか、歌ってます。

もう!!

夫がとんでもないことをしてくれました

昨年末から、若干歩けなくなった夫。

小のほうは、おもらししても、大のほうは何とか歩いて、トイレまで行ってました。

また、男性ですと、シビンという手もあり、またか、位に思ってました。

しかし、昨日というか、気づいたのは今朝なのですが。。。。

昨夜、洗濯機に夫のズボンが入っていて、洗い終わっているのに、臭かったので、もう一回まわしておきました。

今朝干そうと思って、取り出そうとしたら、なんと、黄金色の付着物が。。。

ぎょっとして、よく見たら、幅3センチ、長さ6センチくらいの厚みのありそうな塊りが。。。。

しょうがないので、何回か、さらに、洗濯機を回しました。

若干、洗濯機か故障中で。。。。

底の回る部分が外れている洗濯機。。。

水を入れては流して、と言うことを何回か繰り返しました。

次に、洗剤を入れて、お湯を張って、本格的に洗濯したところ、なんと、ぷっかり浮いてきました。

何回か、さらにまわしましたが。。。

糸くずなどのごみとり機が黄色くなっていて。。。
もう買い換えるしかありません。

とにかく、このズボンを洗濯しなくちゃ。。。触りたくありません。

ポータブルトイレを買っておいたほうがいいかも。。。

歩けないといっても、私が見ていないとき、伝い歩きして、コーヒーを飲みに台所まで行ったりします。

まるっきり歩けないわけじゃないみたいです。。

痛いからと、不精して歩かないでいると、筋肉まで退化すると思うので、何にもやってあげないようにしています。

先日、心筋梗塞と狭心症についての「名医に聞く」のアンコール放送を見ました。

心臓の血管が何箇所か詰まっている状態で、3人の名医が3通りの方法を薦めていました。

1:全身の状態をよくすること。
2:バイパス手術。
3:カテーテル手術。

先日、歩けないということで、湘南鎌倉病院に救急で行ったとき、足の動脈の梗塞ではないか、というケースの場合、外科でした。

つまり、外科的に治療するらしい。。。
調べたら、自然にバイパスができて、血流が確保されていると言うことで、それは無しになりました。

結局、今後このようなことになった場合、どこの科に行けばいいのですかと聞いたら、内科で見てもらうように、と言われました。

つまり、全身の状態をよくする治療法。。。

そのときは、医療用のハイソックスと、痛み止めの座薬で、歩けるようになりました。

今回は、プラスして、DHAのサプリや、アスタキサンチンなどをあげると、状態がよくなるみたいです。

しかし、タバコはすいたがります。

テレビでも、タバコは血管によくないと言ってたのに。。。

私が嫌がるのに、タバコを吸います。
私は副流煙を吸いたくないし、いまどこでも、タバコを吸う人は、遠慮するのに、平気な顔で、吸おうとします。

それで、また状態が悪くなって、横柄な態度で、私に面倒を見てもらおうなんて、とんでもないです。。。

病院では、長時間待たされて、疲れ果てました

湘南鎌倉病院には、昼の1時ごろ着いて、夜の10時までいるはめに。。。

いろいろな検査をしてもわからない。
救急担当の女性医師は、
「片足だけかと思った、両足だったんですか」などと、途中で口走った。

原因不明で帰されそうになったが、両足歩けないので、困ってることを言わなければならなかった。
救急車の人が、伝えておきましたから、と言っていたので、私は何も言わなかった。

この時点でかなりの時間が過ぎていた。

私はかなりあせりまくり、治るのか、治らないか、絶望的になってきた。

座薬の鎮痛剤を入れても、歩けない。

どうしよう、おトイレ、大の方はどうしよう、と、恐怖に駆られた。

小のほうは、先日のトポスの閉店バーゲンで尿瓶を買っておいてあった。

入院するしかない、と言う判断で、入院手続きを始めた。

書類にいろいろ書いた。

娘が二人いることを書いた。

それから、ちょっと病院の態度が真剣になってくれた。

お医者さんが何人も来てくれた。

何かにするか、議論している。

血管科とか、内科とか、外科とか、考えているらしい。

血管の音を聞く機械を探して持ってきてくれて、それで音を聞いた。

足の血管は詰まっているけれども、横の別のほうにバイパスができて、流れているので外科ではないと。

内科の先生の案で、医療用ハイソックスを持ってきてくれた。
それをはかせてみると、なんと立ち上がれた。

めでたしめでたしで帰れた。

ここまで時間がかかったわけは、おそらく夫がお風呂嫌いで一ヶ月お風呂に入っていなかったため、くさくて、また路上生活者に近いと思われたため、後回しにされたのだと思う。

私が、待合室から呼ばれたときも、「奥さんですか?」と変な呼び方をされた。

娘達がいて、ちゃんとした家族がいて、いい加減なことをすると評判が悪くなると思ったため、がんばってくれたような感じ。

病院にいくから、お風呂に入って、と言ったのに、入らなかった夫が悪い。

家にいるときは、それほど感じなかったのだけれども。
窓を開け放しているし、そんなにそばによることもなかったからかもしれない。。。

密閉性が高く、狭い救急診療区域(古い病院のとき)だったので、私も、夫のそばに近づくと、かなりくさくていやだった。

本当に恥ずかしい思いをした。

病院にいくときは、お風呂に入って、きれいにしていきましょう!!!

ま、でも、いざ歩けなくなって、病院に搬送される羽目になったとき、それからお風呂に入れるというのは、不可能。

やはり、日ごろからお風呂に入りましょう。

なんて、何でこんなことで悩まなければならないのだろうか!!!!

もう、いやだ。

ごりちゃんピンチ!!

ごりちゃんは、だいぶ前から、びっこをひいている。

それに気がついたのは、先日一緒に、もんじゃ焼きを食べに行ったとき。

それまで、気づかなかった。

話を聞いてみた。

歩くと、足が痛くなって、しばらくいすで休み、それからまた歩くという繰り返しだそうだ。

そして、ついに金曜日、もう片方の足も痛くなって、ついに、ギブアップ。
お医者さんに連れて行くことになった。

土曜日の救急車、いつもお世話になっています。

藤沢市民病院はよくない、という話を聞いたので、平塚中央病院か、湘南鎌倉病院をお願いしますといったら、平塚中央病院はだめだそうだ。

湘南鎌倉病院と連絡が取れた。

救急車で湘南鎌倉病院に到着。、

最近のごりちゃん

お酒のびんが、ベランダに隠してあったりしたけれども。。

寝室から出てきて、あほみたいな顔をしているときは、
「また飲んだでしょ。脳細胞が破壊されたような顔してる」
といってやる。
本当に、すごく違う。

3月の検診で、クレアチニンが正常すれすれの1.1になっていた。
これ以上増えると、腎臓が黄色信号。

腎臓病になると、たんぱく質を制限しなければならなくなるので、お肉大好きのごりちゃんには、つらいと思う。
そういうわけで、腎臓病になったら、お肉を制限しなきゃならなくなるからね、と、私は、脅した。

お肉の食べ方が半端じゃない。

腎臓病の治療食は、あげものがおすすめ。
そのせいか、毎日、ベランダで作った春菊のてんぷらを自分で作って、食べている。
毎日のことなので、私も、進められて食べるようになった。
油がまずいときは、パスするけれども。

前回から、目の検診も追加されている。
目のチェックが必要らしい。

半年前くらいには、毎日チャングムをテレビで見ていたらしい。

今は、チュモンを見ているらしい。

父親のヘモスが、殺されてしまうところ辺りを見た日、感動した、といっていた。

私が韓国歴史ドラマを見ていると、わからない、と、嫌がっていたけれども。

ついに、チュモンを見るようになったか。

チュモンは、男がはまるとか言われていたけれども、面白いと思う。

しかし、おもしろいのは52話くらいまで。

その後は、脚本家がひとりだけになって、延長した部分で、だれてしまって面白くなかった。

ごりちゃんとの出会い

ごりちゃんは、時には二枚目に見えることがあります。

しかし、普段は三枚目で、バンカラの部類。
本人も、片岡鶴太郎を見たとき、なんて自分に似てるんだろうと思ったそうです。

結婚式では、水泳部の恒例であるかっぱ踊りを、皆さんで披露してくださいました。
初めて見たのですが、バンカラそのものでした。

ごりちゃんとの出会いは、お見合いです。

うん十年前のことですが。。。

そのころ、統計パッケージを使った仕事をしていました。

長期問題検討委員会という臨時の組織のお手伝いでした。

特別会計へ移行するための予測資料などを作成するため、コンピューターの統計パッケージを使って、プリントアウトするのが私の仕事でした。

大型計算機しかない時代でしたが、統計パッケージだから、データを入れれば、ぱぱっとグラフも数値も出てきます。

多変量解析ソフトのBMDPというパッケージもあって、時系列分析のパッケージと一緒に、いろいろやって遊んでました。

そのとき、長期問題検討委員会には4人のメンバーがいて、もちろん皆さん私より年上ですが、一人すごくかっこいいM氏がいました。
二枚目で、性格もすごくいい人でした。
理想的な人でしたが。。。

病院理事長の娘婿だったので、お金が財布にはざくざくはいってました。

いつも、全員分の食事をおごってくれました。

半分ふざけて、パンチ室の人にもデータ入力を手伝ってもらうので、
「この仕事をやったら、ケーキをみんなにお礼にほしい」、なんていったこともあります。
パンチ室の女性達と、大きなホールケーキをおいしくいただきました。

私の職業歴の中で、もっとも楽しい時期でした。
かなり、ちやほやされて、おだてられてました。
とはいうものの、多変量解析で分析してみようというときには、私よりも後輩の人たちのグループを参加させて、その人たちがやることになりました。私は単なる大型コンピューターのオペレーターのようなものでしたが。。。
そのときの長期問題委員会のトップ二人は、その後最高ポストにまで上り詰めました。

多変量解析自体は、日本ではあまり使われていませんが、その当時から、アメリカなどでは、がんがん使われていたようです。

私の大好きだったM氏は、結婚式の司会もお願いしちゃいましたが、そういうことがとても似合う人でした。その後、アメリカ勤務になり、帰ってきた直後、辞職して、故郷に帰り、大きな病院の理事長になりました。

その当時、統計関係の言葉を調べるのに、母校の数学教室に通いました。

母校の数学教室の図書室は卒業生も借りられました。
数学科の図書室には、長い間勤めているHさんというおばさんがいました。

生き字引のような人で、すべてを取り仕切って、支配していました。

そのおばさんと、いろいろとお話しするようになりました。
私はそのころ、そろそろマンションでも買おうかなと思っていました。
「結婚しても、自分の家は持っていたいから」
といったら、
「自分だけの家なんてだめ、夫婦は一緒に住まなきゃ。出世したかったら、結婚しなきゃだめ。写真を預かって、紹介してあげる」といわれました。

女はいくらでもいる、と、いってました。

私は、もうすぐ30という年齢だったのですが、紹介してくれるという相手は、バツ1で3人の子持ちなどでした。

バツ1でも子持ちではない人がいい、といいました。

最初に紹介しようかしらといわれた話の人は、どういう人か別の人に聞いてみると、かなりかっこいい人だそうで、期待してましたが、あえませんでした。

その後、おばさんとおしゃべりしていて、
「私の職場の男性で、そばにいる人は、ハゲチビお金がない、の3拍子そろっていて・・・」としゃべったとき、おばさんの顔を見たら、顔が引きつっていました。あ、まずいこと言っちゃった、気がついたけども、後の祭り。

おばさんは、女性ですが、かなり髪の毛が薄く、出歩くときは、いつも帽子をかぶっています。ハゲという言葉は禁句でした。

そんな失言をしたため、今の夫を紹介されたのかもしれません。

実家の母は、
「前の奥さんは、さっさと逃げ出して賢かったかもしれないよ」とか、
「義理欠く、礼欠く、恥欠くの三欠く精神だね」とか、
「離婚するならしなさい」
といいました。

しかし、母は支配欲が強く、お嬢様育ちのわがままな性格であり、離婚して、母に頼るのは、ちょっと危険だと思い、思いとどまりました。

夫は、
「離婚すれば、他人だ」といいます。
バツ1なので、そういう考えらしいですが。
夫の前の結婚と離婚も、Hさんが仕切ったそうです。
前の奥さんは、結婚後半年ぐらいで家を出てしまったそうです。家を出てから、半年後くらいに正式に離婚し、その後、半年か、1年くらいたった時、私とお見合いしたようです。

新婚旅行の時、夫がベッドでグーガー昼寝をしているのを、そばで見ていたら、びっくり仰天して、怯えていました。
前の奥さんと勘違いしたのでしょうか?

きっとすごい結婚生活だったのでしょう。

かなり強引に、仲人言葉を吹き込まれて、会いましたが。。。

2回目のデートと3回目のデートの間に、職場の親睦旅行があり、ひどいセクハラをされました。
あまり思い出したくないので省略。

それで、もうこの相手に決めてしまおう、結婚しようと、決心しました。

夫のほうは、
「君が学生のときに見かけたことがある。そのときから好きだった、見合い恋愛だね」
と調子のいいことを言っていました。

毎日電話をかけてきて、
「今、江ノ島にいるんですけど」
なんて、いう人なので、ほんとかどうかわかりません。

「見かけたことは本当だよ」
といいますが。。。

私の所属するサークルと、彼の所属するサークル、そして、彼が入り浸っていたプールが同じ建物にあり、数学科の建物のすぐそばでした。

だから、すれ違っていてもおかしくはないけれども。

「フランスから帰ってきたとき、死にそうだったんだよ、そのとき、君を見て・・・」みたいなせりふも言ったりして。。。

結婚するまでには、いろいろありました。

それは省略。。。

仲人のHさんは、すべてについて指図しました。

「結婚式の仲人さんは○先生、お礼はX○万円、恩師のF先生に挨拶に行きなさい、A子さん(私のこと)のお父様のところに会いに行きなさい、結婚した後、私(Hさんのこと)へのお礼は20万円でいいわよ。。」

後で夫に聞いたところ、このHさんは、くっつけるところから、離すところまで、つまり、結婚離婚すべて、面倒を見るそうです。

夫とHさんは20年来の付き合いで、夫は話を聞いてあげる役目だそうです。
結婚式の時、Hさんは、
「私は、大学での親のような役割です」なんて、話をしていました。
かなり、夫とは親しいようで、結婚してからも、ずっと夫と長電話しています。
(今も時々長電話しています、通話記録でわかります)

Hさんの夫は、防衛大学の数学の先生でしたが、私と夫が結婚するちょっと前に、自殺されました。

その自殺前夜、夫のマンションに寄ったそうです。
そこで、そのとき、
「何を話したか、言いなさいよ」
と、しつこくHさんは聞き出そうとするそうですが、夫は教えてあげないそうです。
そういうところは、なぜか口がかたくて、びっくり。。

そのHさんについては、結婚後も、お世話になりました。
夫のことについて時々、相談したり、間に立ってもらったりしました。
「私は女性の味方よ」といっていて、私は、私の味方だと思っていたのですが。。。

今住んでいるマンションへ引っ越した直後、遊びに来ていただいて、いろいろ夫のことをいさめてもらおうとしたときのこと。。。
突然、
「うちの息子だって、こんな立派なマンションに住んでないわよ」と怒り出したのです。今住んでいるマンションは、住宅債券を積み立てて、倍率2倍であたったものでした。
住宅債券がなく、市内在住でもない人は、100倍の倍率の人気でした。
広さは、4LDKで、90平米超。
今となっては大したことありませんが、市内の一戸建てに住んでいる母も、
「車をおかせて」と頼むような駅から近い便利なマンションでした。

Hさんは、夜遅くなると、台所の洗い物を始めました。
「汚い台所のままで寝るのは嫌なの」
結局、Hさんは、居間にお泊りになりました。

Hさんは、実家からのお金で女中さんを雇って、仕事を続けていたそうです。

私は女中さんなんていませんし、実家もそんなお金を出すような金持ちでもありません。完璧に一人で家事をこなせませんし、夫が家にいることが多いので、夫にも家事を分担してもらおうと思っていました。

私の味方だと思っていたHさんが、突然本性を現したという感じ。
大学の先生って、昔はもっと地位が高かったようですが(Hさんの話を聞くと)、私は、大学の先生は、暇だから家事が手伝ってもらえる、なんて程度の認識でした。

夫の問題で、興信所に相談しようとして、いろいろ話したとき、このHさんのことを話しました。
「それはプロですね、本当はいけないんですけど。免許がいるんですよ、結婚紹介は」

Hさんのことをある教授はうらんでいるそうです。その教授のお嬢さんの結婚をHさんが世話したのですが、無理やり離婚させたそうです。
夫が家計にお金を入れないから、という理由で、別れさせたそうですが、
教授のお嬢さんは別れたくなくて、ずっとまだ未練を持っているそうです。

お葬式などでは、このHさんが取り仕切るそうです。

結婚を成立させて、20万円の報酬というのは、その当時の初任給二か月分以上でしたから、かなりいいアルバイトだと思います。

ごりちゃんの動物騒動

ごりちゃんの動物騒動

ごりちゃんは、動物が大好き。
しかし、今のマンションは、動物禁止。

子供が小さいころ、子供の儀機嫌取りもあって、いろいろな動物を買ってきた。

ひよこ、アヒルの赤ちゃん、うさぎ、猫、小鳥、熱帯魚、リス。。。

ざっと思い出したものは、これくらい。

それぞれ、ご近所迷惑。

ウサギは逃げて、隣の家のベランダにある花を食べてしまったという苦情がきた。

猫は、子猫で、すぐに下痢してしまったので返した。

小鳥は何羽もいたけれども、ある日、非常用設備の点検かなにかで、管理人さんが入ってきたとき、気がついたら、鳥かごの扉が開いていて、すべて逃げていた。

熱帯魚や亀はもちろん、OK。

リスは、一晩で死んでしまった。

アヒルは、大きくなってしまったので、川へ流しに行った。

一番厄介だったのが、ひよこ。

あっというまに鶏になっていた。

朝早く、こけこっこーと盛大に鳴く。

我が家は5階だけれども、地上に降りて逃げたことがあるらしい。

ペット禁止なのに、こんなことあっていいものだろうか。

夫は、わざわざ探しにいって、連れ戻したらしい。

鶏のえさが、何週間もベランダの一角にたまって、すごいにおい。

鶏を食べてしまえばいいというけれども、無理。
誰も、処分できず。

鶏を、近くの実家に預かってもらって、ホースで水をかけてなんとか、掃除した。

実家でも、鶏をかごから出して、散歩させると、洗濯物干しの上に飛び乗って困るというので、知り合いの獣医の資格を持っている人に、ちょこっとした手土産を持参し、あげてしまった。

ごりちゃんの学生時代のこと

夫の学生時代、数学科は、民青が多かったそうだ。
秋葉広島市長は、先輩だそうだ。

「今の秋葉広島市長は、民青だよ、そういう顔をしてるじゃないか。駒場寮はいろいろなのに別れていて、歴研とか、民青とか、いろいろいたけれど、汚いし、汗臭いし、見に行ったけど、入れてくれなかった。話してみて、サラリーマン志向の人は、入れない。だけど、結局機動隊が入ったでしょ。今は壊されちゃったけど」

駒場の間は自宅から、二時間かけて通っていたそうだ。
本郷に移ってから、運動部の部室に寝泊りするようになったらしい。
アパートを借りたのは、修士になってからだそうだ。

運動部の部室にいたころの話を、友人が、結婚式でばらしてしまった。みんなでやったことだから、うちの夫だけが悪いわけではないのだけれども。

夜中に、生協の冷蔵庫のダイヤル錠の鍵をあけて、ハムを盗み、焼いて食べたとか。

学生のやんちゃとも思えば思えないこともないけれども、母は、すごく恥ずかしかったと言っていた。

このせいだろうか、夫は、夜中に料理をして食べる習慣がある。

二人目の子供が生まれたころ、車を買った。

休日に、車でスーパーにいき、いろいろ買いだめしておく。
近所に、落第横丁というのがあって、そこには、八百屋さんと肉屋さんがあったが、魚屋さんはなかった。

だから、魚を食べたいときは、スーパーにいくか、近くの魚屋さんから配達してもらうしかなかった。

ところが、夫は、夜中に料理を始める。
お酒を飲むと、料理がしたくなるらしい。

結婚して最初に夫が、夜中に、料理を始めたとき、びっくりした。

たしか、ラーメンスープにコリアンダーというスパイスをいれ、そばを入れるというような料理だった。

私が眠るころ、私は、翌朝仕事だから、夜眠らないと困る。
夫は、大学で、しかも数学だから、毎朝、毎日でなくてもいい。
それで、昼夜逆転することもあり、夜中に、ふんふん楽しそうに、料理を始めて、冷蔵庫にあるものを、すべて使ってしまう。
とても困った。

ねぎ一本ないと困る、ということもあるわけだし。

たとえば、私が作った鍋料理がおいしいと、かってに増量する。
おでんなども増量されてしまう。
しかし、夫の作ったものは、まずくて食べられない。

寸胴なべなどの大きななべいっぱいに、わけのわからないものを作って、いつまでも、なべを占領してしまう。
なべに入れた時点で、眠くなって寝たりしてしまう。

10年位前は、大なべ一杯分が腐り、可燃ごみになるわけで、捨てるのに本当に困った。
夫にごみ出しを頼んでいたが、エレベーターにごみの汁がたれているという苦情があって、おそらくうちだろうと目をつけられて困った。
可燃ごみを出すとき、大量の生ごみは重たくて、水分を含んでいる。

可燃ごみの日は、週2回だけ。
それまでは、ベランダに保存するけれども、ためてしまうこともある。

上の階の人が、覗き込んでゴミ袋の数を数えたそうだ。

年末年始も、大変だった。

東京にいたころは、ごみ用の部屋があって、いつでもごみだしできたが、今の自宅は、ごみの日の朝、指定の場所に出さなくてはならない。

だから、さあ、今日は出すぞというとき、誰もいないのを見計らって、二人で、早朝に大急ぎで出したりした。

自分の料理を食べれば?といっても、私が作ると、それを食べるわけだから、どんどん残るわけで。
日常生活まで、糖尿病っぽい生活。

昼間から、大きなゴキブリが、台所に出没している我が家だった。

今は、買いだめしないようにしているし、大きななべは、しまっているが、それでもやめない。

冷蔵庫には、小さななべやボウルが4つくらい入っていたりする。
机の下で腐っているよりはましだけれども。

今、一番困るのは、小さななべで、てんぷらをして、油がガスレンジにこぼれて、その後燃えてしまうこと。

3つ口のうちの一つのガスレンジの着火部分が、燃え尽きて、火がつかなくなってしまった。

せっかく、西ドイツ製のガラストップの、すごくすてきなガスレンジにしたのに、本当に困る。

このガスレンジは、掃除が楽で、熱効率もよくすごく便利。
ずっといつまでも使えるはずだったのに。

チャッカマンなどでつければ、つくけれども、まったく使えなくなったらとても困る。