そのほかのセクハラ発言集

2年目、検索システムの担当になった。

今の検索エンジンよりも、もっと原始的なタイプだけれども、インバーテッドファイルを作り、キーワードごとの検索ができるようにするもの。

システムは、3つくらいあって、すべて外注で開発したものと、内部で作ったものがあった。内部で作ったものは、ドキュメントが不完全なまま、作りっぱなしの状態で、最初に担当したとき、(データ蓄積部分に)バグがいくつも残っていて、その修正に追われた。

以下、順不同で上司になったことがある人のセクハラ発言。

Yama○氏。

調査官の上の課長ポストまで上り詰めた唯一の人。
今も、ときどき見かけたりする。
出入りのコンピューター会社の営業などをやっているらしい。

Y氏曰く「男性が、事務次官までいけるところは、女性は局長までなれるけど、ここは、男性が課長ポストまでだから、女性は課長補佐ポストまでで終わりなんだよ」

確かにそのとおりになっている。

Tama○氏曰く「昔、上のほうの人に聞いた話なんだけど、女性のお見合いのとき、調査が回ってくることがあるんだそうだけど、そのとき、こう答えるんだって。すばらしい女性だと思うときは、息子の嫁にしたい女性だって答えるそうだ。ちょっとこの人はどうかな、っていうときは、不倫相手(そういう表現じゃなかったような気がする。忘れてしまった)にしたい女性だって答えるそうだ」

Suzu○Sato○氏「産休なんか取るからいけないんだ」
私が、2度目の産休を取った後、出勤したとき、それまで担当していたすべての仕事がなくなっていて、入社一年目の人の仕事(1年に一回起案するだけの仕事)が、割り当てられていたため、文句を言ったときの返事。

Aka○氏「○○さん(私のこと)は、女じゃないでしょ、男でしょ」
私より1年後にはいってきた数学科大学院卒の人。セクハラというより、ま、評価してくれたと思うべきか。

Suzu○Ma○氏「今日の洋服は、透けてないじゃないか」
この男性は、アルバイトの女性をいつのまにか、ゲットして、結婚し、まじめにずっと結婚生活を続けているが、パンチャー室の女性などには、タッチまでしていたらしい。

部屋に女性のヌード写真などがあるのは、当たり前の時代だった。

今なら、セクハラ!!といえるけれども。

Nishi○氏という男性は、上司にはならなかったけれども、身近にいた。

彼は、商品取引に手を出し、出資した金をすべて失おうとしているのに、気がつかない。
競馬でお金をすってしまうと、気持ちがいいそうだ。

行きつけのバーのバーテンに、お金を貸してくれと頼まれて、サラ金から借りて貸してあげたというお人よし。

母に言わせると、夫にするには、いいタイプだそうだが、私は女性っぽい男性が好きなので、毛むくじゃらの男性は、趣味ではない。

身長は、私と同じくらいで、頭の毛は、徐々に体のほうに行ってしまう体質のようだ。

夜、Se○氏と、3人で飲みに行ったとき、
S氏「どう?」

N氏「僕は、してもいいけど」

といわれた。

そのとき、まだ20歳代だったし、そこまで落ちていない!!と云いたかったけど。

N氏は、

「毎日好きになって、毎日振られている」そうだし、丁重にお断りした。

最初の上司I氏

私の職場のセクハラ人物その1(I氏)

1年目の上司I(Iwa○)

自分のことを「僕は狸だよ」という人物。
その意味がわかるようになったのは、だいぶたってからのこと。

右も左もわからない間、とりあえずお世話になりました。

7歳年上で、年次では、5年違いの入社。

つまり、大学に7年間(正確には、6年と2ヶ月)いたらしい。
同じ大学同じ学科の卒業生で、同窓生名簿にのっていて、夫と同級生。
しかし、学生紛争の世代で、ほとんど大学にいかなかったらしい。

このIには、かなり困りました。

北海道に、出張に行くことになり、このIとS、女性の先輩のAが同行しました。
出張といっても、実態は、ご想像にお任せします。

夜、宴会後、このI氏が、しつこく私に、
「君はわがままだ、自分勝手だ、実家を出て、一人暮らしするべきだ」と、せめる。
一応上司だから、相手になっていたら、ホテルのバーが終わりになり、しょうがなく私の部屋で、続きを聞くことに。。。

私は、うんざりしながら、少々付き合ったけれども、
「もう寝るから」とお引取りをいただきました。

その後、私が、Iと結婚するといううわさを立てられました。

どういうタイミングか覚えていませんが。。。

記憶に残っている、最高に気色悪いI氏の言葉。
「妹みたいに思ってるよ、それじゃ不満?」

I氏は、覗き込むような顔をして、にんまりというか、うれしそうな顔というか、なんか笑い顔。本人はにっこり笑っているつもりなのかもしれないけれども、気持ち悪いことこの上なし。
こっちはどう答えればいいのか、よくわからないまま、適当に対応しました。

その後、I氏は、他省庁や他部署に行き、数年後、戻ってきました。そのころ、私は、翻訳をやるようになっていて、このI氏にも、何度か緊急の翻訳などを、頼まれました。
ポストをください、といい続けたのですが、結局、誠意ある対応をしてもらえず、もう、やらない、と宣言しました。
調査官(われわれの最終ポスト)に五年間も居座り、その次に当たる人物は、I氏に忠実な仕事ぶりだったにもかかわらず、無能との評価で、調査官になれずに、退職しましたが、関連会社の社員として、まだ、同じ建物にいるそうですが、ほとんど顔は合わせたことありません。

このI氏は、十年くらい前に退職しましたが、出入りのコンピューター会社の社員として、営業でしょうか、いまだに、うろうろしています。

JICA経由の、外国勤務(東南アジア)に、合計3回くらい行っていると思いますが、この仕事は、聞くところによると、二箇所から給料をもらえるのだそうです。