結婚直後

新婚旅行から家に帰ると、彼は実家に帰りましたから、と電話をした。

そして、私には、
「釣った魚にはえさをやらない」と宣言した。

結婚式自体、彼は、やらなくてもいいと言い張ったが、彼は二度目でも、私は初めてだし、私の母も、やらなくてはいけない、といい、Hさんも、やらなくてはいけない、ということでやることになった。

費用は、半分ずつだったが、彼は、職場から借金して払い、婚約指輪は、私の手持ちのもので済ませ、ドレスは、私の妹のを借りた。

仲人さんは、Hさんに言われたとおり、10万円を持っていったところ、受け取れないといって、受け取らなかった。
Hさんに言ったら、では、お歳暮お中元で、その分、払いなさい、といわれた。

彼の実家に、結婚する前には、行ったことがなかった。
私の実家には、3回目のデートの後、結婚することに決めてから、彼は、私の実家に来て、その晩、ずうずうしくも、泊まっていったけれども。

結婚後、夏休みに、母の運転する車で、一緒に、彼の実家へ行った。

彼の実家と私の実家は、車だと一時間くらいだけれども、電車を乗り継ぐと、何時間もかかる。おそらく3時間以上かかるのではないだろうか。

国鉄の電車を乗り換えて、さらに、私鉄に乗り換えなくてはならない。
しかも、国鉄と私鉄の乗り換えには、暑い中を10分歩かなくてはならない。

車で行くのが一番楽というわけだし、母がいてくれるほうが心強いので、一緒に行った。

そのときの彼の母の顔つきは、仲人さんへ挨拶に行ったときとは、別人のようだった。
おもしろくないという感情を、わざとらしく、あらわにしていた。

私は、できるだけおとなしくしていた。

しかし、彼の実家を見てびっくりしたのは、こんなに小さな家を見たことがないということ。

世の中には、もちろんそういう家もたくさんあるのだろうけれども、私が育った地域は、大きな家がたくさんある地域だった。

門を入り、階段を上り、すぐそばにある家の横を通り抜けていくと、彼の実家がある。

後に、統一教会にだまされそうになったとき、除籍謄本というものを取り寄せ、この場所の由来がわかった。

彼のひいおじいさんの代まで、大金持ちだったらしいのだけれども、そのときに、親戚を養子に迎えて、この土地に住まわせている。
そのころから、この住所に住み始めた親戚の土地に、自分で家を建てたのが彼の両親。

その親戚にこの土地を買ってあげたのは、彼の曽祖父だから、彼の両親にも権利があると、彼の妹は(両親がなくなって、誰も住んでいない現在も)思っているらしい。

しかし、彼の曽祖父の死後、祖父は後を追うように死んでいる。彼の父は、12歳くらいで、奉公にいかなくてはならなかったらしい。

昭和恐慌のあたりで破産して、彼の祖父はもしかすると、不幸なことになったのかもしれない。

彼の父は、掛け軸をいくつか持っていたとかで、その一つが東京のマンションにかけてあった。一茶の軸だといっていたが、見てもらったら偽もので、1万円くらいの価値だといわれた。

玄関の戸を開けると、すぐそこが食堂。隣に6畳間があって、その隣には、も一つ3畳の部屋があるらしい。
玄関の奥には、台所と、風呂。
風呂は、薪でたく五右衛門風呂のようなものらしい。

五右衛門風呂なんて、非常にエコな生活だけれども。

いろいろな食事がテーブルの上に並んでいた。
しかし、彼の母の分はなかった。

彼の母は、残っているものを、ささっととって食べた。

年配の人は、そういう風にするのが普通という習慣もあるらしいが。。

ちょっといづらかった。

一時間くらいいただろうか、ずいぶん前のことなのでよく覚えていない。お行儀よくするのも疲れたので、早々に引き上げた。

マンションに帰った次の日の夜、夫が家に帰ってきたとき、ショッキングな出来事が起きた。

「なんで、おふくろにあんな態度したんだ!?」と突然怒り出した。

暴力は振るわなかったけれども、その怒りの剣幕がすごかった。

私はまったく思い当たらない。

できるだけ、おとなしくしていたつもりだった。

これはどういうことか、と、驚きつつ、彼の怒りまくる姿を初めてみて、ショックを受けた。

そのことを、夫と一緒に私の実家に帰ったとき、母に言うと、
夫は瞬時に怒り、座っているテーブルを飛び越えて、私に暴力を振るおうとした。

夫は、自分の母親について、何かあると、ぶっちギレルということを私は学習した。

スポーツ

3月末まで有効のスポーツクラブ入場券が5枚買ってあり、そのうち4枚残っていました。先週の金曜日から、金、土、日、月と4日間連続で、スポーツクラブに行き、使いきりました。
体重があると、プールが楽ですね。
重さを感じないばかりか、脂肪太りで楽に浮いているような気がします。
身が軽くなったような感じです。
昔、関係するコンピューター会社の営業の人からスポーツクラブの会員券を購入して、月2回ほど行ってました。
サウナと水風呂を繰り返すのがまた気持ちよくて、大好きです。
しかもそれをすると風邪をひきにくくなるので、行きたいのですが、ずっといってませんでした。
今回は、券が無効になるともったいないので、なんと毎日4日間、連続して、あるスポーツクラブに通いました。
その結果、なんとおなかがへっこんだのです。
こんなに短期間で減るということは、私のおなかというのもは、脂肪だけではなく、ばっちいものでパンパンになっていたのかもしれない、

鬼嫁その後

夫は、なんとか、回復した。

主治医の先生に電話して、状況を話し、どうしたらいいですか?
と相談したら、
「蜂か織炎は、糖尿病のコントロールが大切なので、お酒は絶対にいけません」
といわれた。

夫にそう伝えた。

薬をもらって、ずっと寝ていること約2週間。
病院に、診てもらいに行って、薬をもらい、さらに1週間。
病院に行き、診てもらい、もう大丈夫でしょうといわれた。

その後、また歩けなくなったので、連れて行ったら、今度は、単なる痛風。

本当に手がかかる。

とりあえず、夫は、退職して家にいるようになったので、働いている私が、ご飯を作ってって食べさせるのをやめ、お酒を飲むから、お金も渡さないようにしたら、九月、十二月の検査数値がよくなった。

松葉杖や車椅子を買っておこうかとは思うが。。。

鬼嫁2

痛風らしき痛みはなくなったが、足全体が腫れていて痛くて歩けないという。歩けなくなってから三日だと。
夜だったがしょうがないので救急車を呼んだ。前は台車がはいらなくても、ビニールシートのようなもので運び出した。今回はそれがないので、応援を頼んだ。そとにでたときわかったのだが、応援は消防車だった。
玄関までざっと荷物をどけてくれて、通れるようにくれた。私はほとんど家にいないので、家の家具等は夫が好き勝手にやっている。荷物が徐々に多くなり、廊下のスペースをかなり占めていた。
痛がる夫を毛布に乗せ、数人がかりで玄関まで運び出した。それから台車に乗せてエレベーターで降りて、救急車に乗せ、私も乗って地元の病院へ行った。帰りは救急車が使えない。ベットはあいていないとのことだ。帰りのことを考えると、ぞっとしたが、先生が指示するから、という体調の言葉を信じて、病院へ向かった。
病院に着くと、私はロビーの待合室でかなり待たされた。
やっと呼ばれて中に入ると、待機スペースのベットで、点滴を打たれながら、夫はいびきをかいて眠っていた。
いい気なもんだと思いながら、血圧計をみると178ー98だった。
しばらく待たされた後、看護婦さんが来て先生が来た。「入院の適用ではありません。ほうかしつえんです」
帰るの〜どーしよう・・・。

鬼嫁

昨夜は大変だった。電車が人身事故で止まってしまい、帰るのが大幅に遅れた。古本市で遅くなったのがさらに遅くなってしまった。
家に着くと、痛風の発作で数日前から足が痛い夫の様子がおかしい。痛風発作は数日で収まるものなのだが、歩けないという。新聞で足の動脈瘤の記事を呼んで。それかもしれないという。
実は、夫は痛風だけでなく、たくさんの病気を抱えている。糖尿病は20年くらい前からだ。4年ほど前には脳梗塞で半身まひになったが、2週間で治って退院した。
非常にラッキーだったとお医者さんが言っていた。
梗塞を起こした場所が、さほど重大な影響を及ぼさないところだったというのだ。脳の血管造影図などを見せられて、ここがつまっていました、と言われた。
しかしあちこちにこぶがあり、また再発しますといわれた。
地元の病院に入院したのだが、歩けるようになって退院することができた。入院中はお酒が飲めない(あたりまえだが)のでつらかったらしい。
その後もしばらくはやめていた。
しかし半年もたつとまた飲みはじめた。
お金を渡していないのに、家にある本やこまごまとしたものを売って、お金にかえてお酒を買ってきたりする。
痛風もお酒が原因だ。最近酒量が増えていた。
東京の病院で3カ月ごとの検診に行き、血糖値が上がっているといわれて、急に散歩を始めた。半日ぐらい歩き回る。お酒もがんがん飲む。そのあげくの痛風だった。?