スポーツ

3月末まで有効のスポーツクラブ入場券が5枚買ってあり、そのうち4枚残っていました。先週の金曜日から、金、土、日、月と4日間連続で、スポーツクラブに行き、使いきりました。
体重があると、プールが楽ですね。
重さを感じないばかりか、脂肪太りで楽に浮いているような気がします。
身が軽くなったような感じです。
昔、関係するコンピューター会社の営業の人からスポーツクラブの会員券を購入して、月2回ほど行ってました。
サウナと水風呂を繰り返すのがまた気持ちよくて、大好きです。
しかもそれをすると風邪をひきにくくなるので、行きたいのですが、ずっといってませんでした。
今回は、券が無効になるともったいないので、なんと毎日4日間、連続して、あるスポーツクラブに通いました。
その結果、なんとおなかがへっこんだのです。
こんなに短期間で減るということは、私のおなかというのもは、脂肪だけではなく、ばっちいものでパンパンになっていたのかもしれない、

夫の最初の発作

夫が、最初の発作を起こしたのは、確か2000年の11月だったと思う。

夜、いつものように、お酒を飲んで、下品な悪口を言い始めた。
聞いているのも、嫌な悪口を並べて怒り始める。

毎日毎晩、これだから、本当に、離婚したいと思うが、お酒が抜けると、別人のようになる。

一見まじめで、おとなしい人が、一杯のビールを飲み干すと、目つきがすわり別人のようになる。
ジキルとハイド氏みたいだと思っていた。

フランスに一時行っていたことがあって、そのときは、子供と一緒に、
のんびりすごせた。
たった半年ぐらいだったが。

その発作は、一瞬何が起こったかわからなかった。
顔の形相が、怒りの表情というだけではなかった。
目が異様につりあがり、口はよだれをたらしながら、ぎりぎりと食いしばり、顔じゅうしわだらけにしながら、声も出ず、手足も突っ張り、まるで地獄の苦しみを味わっているようだった。
息はとまっていた。
呼吸しようにも、できないようだった。
何分続いただろうか。
何とかしなくちゃと思っても、私は、悲鳴をあげるしかできなかった。

親なのになさけないと思うがそれほど恐ろしかった。
このまま死ぬのかと思った。
きっと、その状態がずっと続いていれば、死んだのかもしれない。
ある小説家の悲惨な小説の一部に、そんな発作で、死ぬ話が書かれている。

長女が、救急車を呼んでくれた。

救急車の人が、来てくれた。
10分か、そこらだったと思う。
しかし、夫は、うそのように眠ってしまっている。

起こすと、さっきのことはまったく覚えていないので、病院なんか行かないと言う。

子供たちが、泣きながら、頼んだ。
私の言うことは聞かないが、子供の言うことは聞く夫だ。

病院に着き、いろいろ検査をした。
脳梗塞を起こした痕跡があるという。
発作だと思えるような発作は起こしていなかった。
しかし、考えてみると、三年くらい前、つまり、1997年ころ、変だと思ったことがある。
顔が、左右対称ではなく、ひょっとこのような顔をして、ご飯をぼろぼろこぼす。

「どうしたの、けんかでもして、殴られたの」と聞いた。
答えなかったが、考えてみると、おかしかった。

次の日も専門外来に来てくださいと言われた。

結局、「アルコールをきっかけとして、脳梗塞を起こした場所が、てんかん発作を起こしたのでしょう」と言われた。

私も、子供達も、本当にショックを受けた。
子供たちのほうが、私よりも、もっとひどいショックを受けたかもしれないと、考えてあげるゆとりもなかった。

その後、虎ノ門病院に行ったら、「アルコールをやめない限り、命の保障はしない」と言われた。
しかし、夫は、その場では、はいはいと、従順な態度をしながら、家に帰ってから、「久里浜病院へ行こう」という私に、「アルコールをやめるくらいなら、死んだほうがいい」と言った。

私も、あきれ果てた。

その後、いろいろ事情があって、私がお金をすべて管理するようになると、お金をできるだけ渡さないようにしなければならなかった。

少しでも渡すと、お酒を買うからだ。

お金を渡さないと、家にある私の本や、置時計、ノリタケのティーセットなどを、質屋とか、古本屋へ持っていって、お金を手に入れた。

私は、大事なものは、買い戻しに行った。
その後は、自分の部屋に、鍵をかけて、しまっておき、いっぱいになると、娘の部屋に寝るようになった。

越後湯沢に、マンションを買ったのも、大事な本を置く場所を作るためだった。
やっと自分の部屋で寝られるようになった。

棺おけに片足突っ込んでいる夫

夫は、都内の有名病院に通院している。

19年位前に、ここの内科に、糖尿病の教育入院をしたことがある。

三年くらい前に、脳梗塞で半身麻痺になったとき、入院した地元の病院では、糖尿病については、わからないというか、的外れの診断をしていた。

なんとれっきとした糖尿病の夫を、検査結果もそのように示しているのに、脳梗塞の治療をしてくださったお医者さんが、「糖尿病の気がある」、とか、「境界域糖尿病」だとか、おっしゃたわけである。

歩けるようにしてもらったので、文句を言うわけではないが、糖尿病については、心もとなく思うわけで、そういうわけで、もともとかかっていた糖尿病の経過もわかるわけなので、都内の病院に行くことにした。

それで、都内の某有名病院に行った。
私の職場から近いこともあり、内科に通いながら、神経内科を紹介してもらい、受診することになった。

前に見てもらったとき、ここの神経内科の先生は、
「久里浜病院に行って、アルコール中毒を治してからでなければ、私は診ない」といわれて、私も手伝って、断酒するように命令された。
しかし、夫は、久里浜病院に行くわけもなく、断酒会にも参加しない。
私は、仕事を休んでアル中の家族会に行くわけにも行かず、そのままになっていた。

そして、脳梗塞になったわけである。

酒をやめなければ、命の保障はしないといわれながら、酒をやめるくらいなら、死ぬという夫。

私も、あきれて、酒代を渡さないようにするくらいしかできなかった。
すると、家の品物や本を売りに行って、お金を得て、酒を買う。

結婚祝いにもらった高価な時計や、ノリタケのティーセットを買い戻しに行く羽目にもなったし、本も、売った先がわかると、買い戻しに行った。

その後は、大事なものは私の部屋に鍵をかけてしまっておくようにした。

そういうわけなのだが、脳梗塞になって、再び都内の有名病院に行った。

私が途中から、神経内科の診察室に入ると、夫は、先生と、話をしていたが、私が、
「昨年脳梗塞で、入院しまして」と話すと、先生は、
「その話、しなかったよね」と、言う。

夫は、都合の悪いことは何も言わず、適当にしゃべっていたらしい。

「奥さんからちゃんと聞かないとわからないですね」と先生が言うので、私は昨年からの経過などを話した。

「脳梗塞で2週間入院した後も、立てなくなっていて、救急車を呼んだら、救急車の人も病院へ行ったほうがいいですよといったんですけど、明日までいいよといって、行こうとしなかったんです。でも次の朝になったら歩けるようになっていました。もう、棺おけに片足突っ込んでいますよね」
と私が言うと、先生は、大きくうなづきながら、
「うーん、それはまさに棺おけに片足突っ込んでいる状態だ・・・」
と、うなっていた。

先生に納得されてしまうのも、実に妙な気分だったが、とりあえず、今度の先生は、
「酒をやめなくても診てあげますよ。でもやめたほうがいいけど」
と言う。
酒は、百薬の長とか言うが、神経に対しては、明らかに毒なのだそうだ。

うちのごりちゃん

うちのごりちゃんは、そんなの関係ない!!
が大好きである。

昨年、しょっちゅう、やるので、なんだろうと思っていたら、はやり言葉だった。

最近は、なんとか、毎日元気で、ごみだしをしている。

ごみだしをしてくれるだけでも、だいぶ助かるので、ま、いいとしよう。。。

しかし、ときどき、立ち上がるのに、苦労しているときがある。

それを見ると、私は、
「また、お酒飲んだでしょう」
と、言う。
こっそり、飲んでいるかもしれない。

「寝たきりになったら、不潔部屋に置いとくからね」
と脅している。

あの大きな体を、私が面倒見切れるわけがない。
車椅子は、万が一のために、用意しておくほうがいいかもしれない。

とにかく、酒とたばこをやめさせる!!

車椅子をどこで買えるのだろうか、と、先日電話帳で探しまくったが、結局わからなかった。
電脳卸で調べると、たくさんあって、どれがいいのかわからないほどだ。

とりあえず、安くてよさそうなのを見つけておいた。

鬼嫁その後

夫は、なんとか、回復した。

主治医の先生に電話して、状況を話し、どうしたらいいですか?
と相談したら、
「蜂か織炎は、糖尿病のコントロールが大切なので、お酒は絶対にいけません」
といわれた。

夫にそう伝えた。

薬をもらって、ずっと寝ていること約2週間。
病院に、診てもらいに行って、薬をもらい、さらに1週間。
病院に行き、診てもらい、もう大丈夫でしょうといわれた。

その後、また歩けなくなったので、連れて行ったら、今度は、単なる痛風。

本当に手がかかる。

とりあえず、夫は、退職して家にいるようになったので、働いている私が、ご飯を作ってって食べさせるのをやめ、お酒を飲むから、お金も渡さないようにしたら、九月、十二月の検査数値がよくなった。

松葉杖や車椅子を買っておこうかとは思うが。。。

鬼嫁3

「悪性の細菌感染で空気が入っていないか調べるためにレントゲンをとりましたが、大丈夫でした。これから、抗生物質の点滴をします。20分ぐらいかかると思います。あす皮膚科の外来に来てください。10時に予約しておきます」

目がさめた夫は大分楽そうだった。
「帰りは救急車使えないんですよね」
看護婦さんいわく「介護タクシー調べたんですけど、今の時間はやっていないので。車椅子でタクシーまで運びますから。あとで松葉杖の歩行訓練をしましょう」
ゆっくり歩いても20分の距離に、介護タクシーで!?
介護タクシーってすごく高い。とりあえず、あわてて出てきたので手持ちのお金がほとんどないため、支払いをするのにお金を下しに行かなければならない。そのことを話して、
一番近いコンビニは、どこか聞いた。

結局二つあるコンビニのどちらも同じくらいの距離だといわれたので、自宅の前にあるコンビニに行くことにした。点滴がまだあと30分ぐらいかかるという。短い足ながらも速足で歩き出した。子供に電話したら保険証を持っているというので、それもとりに行くことにした。保険証がなかったら、大金がかかってしまうところだった。
支払いは7000円近くかかった。保険証がなかったらやばかった。夫の寝ている待機所に戻ったら、車椅子に乗せられていた。看護婦さんが、「介護タクシーのリストです」と紙を渡した。
タクシーを呼んで乗り込むまで看護婦さんが付き添ってくれた。車椅子から松葉杖を使って、タクシーに乗った。道路はすいていたので、すぐに家についた。

家はマンションだ。タクシーが止まった駐車場のスペースから家に入るには、3段の階段が2カ所ある。松葉杖をついて、車から降りた。3歩歩かないうちに転んだ。もう起き上がれない。前に半身まひになったときと違う足が腫れているようだ。本人に確認しても覚えてないと怒り出す。コンクリートの上に痛む足を打ちつけて転んだ夫はさぞかし痛いだろう。と思うが、さほど苦しんでいる様子はない。もともとすごく痛いから、なのか、痛い方の足はぶつけなかったのか、わからない。

立とうとしても立てない。はいはいしていくしかない。私が力を貸しても起き上がれそうにないし、またそれで転んだら痛そうだし、すぐ私に暴力を振るうので、はっきりいって、肩を貸すのはいやだった。

数年前、痛風のために、近くの医者に行くとき、頑張ってつれていってあげたのに、薬をもらったとたんに、いつもの悪口が始まり、怒り出した。仕事を休んで、つれていってあげたのに、そんな態度するなら、もうつれていってあげないと宣言した。
そして、その次に痛風になったとき、私は夫をほっておいた。するとお酒を飲むと痛くなるということを学習した結果、お酒を飲まなくなり、1週間で回復した。
その後、半年は酒を飲まなかった。

薬をくれた近くの整形外科は、「今回だけは薬を出しますが、内科へ行ってきちんと治療してください」と言ったっため、内科へ行くと、尿酸値をさげる薬をくれた。すると夫は安心してまた酒を飲み始めた。そして、その後脳梗塞で半身麻痺になり、その次は、この蜂か織炎である。

このままでは、無理なので、子供を電話で呼んだ。夜中の二時過ぎに起きているかなと思ったが、まだ眠っていなかった。
引っ越し用の台車を持ってきた。

「ちょうどこれがおいてあったから持ってきた」

どこの家が使ったのかわからないが、車輪を4つつけただけの板だったが、ラッキーだった。その上にのせて、動かし、階段ははってのぼり、また台車に乗せて動かし、階段をはって上り、台車に乗せて、エレベーターに乗り、家にたどり着いた。そしてはって家の中に入った。ほふく前進と本人は言ったが、はいはいにすぎない。

鬼嫁2

痛風らしき痛みはなくなったが、足全体が腫れていて痛くて歩けないという。歩けなくなってから三日だと。
夜だったがしょうがないので救急車を呼んだ。前は台車がはいらなくても、ビニールシートのようなもので運び出した。今回はそれがないので、応援を頼んだ。そとにでたときわかったのだが、応援は消防車だった。
玄関までざっと荷物をどけてくれて、通れるようにくれた。私はほとんど家にいないので、家の家具等は夫が好き勝手にやっている。荷物が徐々に多くなり、廊下のスペースをかなり占めていた。
痛がる夫を毛布に乗せ、数人がかりで玄関まで運び出した。それから台車に乗せてエレベーターで降りて、救急車に乗せ、私も乗って地元の病院へ行った。帰りは救急車が使えない。ベットはあいていないとのことだ。帰りのことを考えると、ぞっとしたが、先生が指示するから、という体調の言葉を信じて、病院へ向かった。
病院に着くと、私はロビーの待合室でかなり待たされた。
やっと呼ばれて中に入ると、待機スペースのベットで、点滴を打たれながら、夫はいびきをかいて眠っていた。
いい気なもんだと思いながら、血圧計をみると178ー98だった。
しばらく待たされた後、看護婦さんが来て先生が来た。「入院の適用ではありません。ほうかしつえんです」
帰るの〜どーしよう・・・。

鬼嫁

昨夜は大変だった。電車が人身事故で止まってしまい、帰るのが大幅に遅れた。古本市で遅くなったのがさらに遅くなってしまった。
家に着くと、痛風の発作で数日前から足が痛い夫の様子がおかしい。痛風発作は数日で収まるものなのだが、歩けないという。新聞で足の動脈瘤の記事を呼んで。それかもしれないという。
実は、夫は痛風だけでなく、たくさんの病気を抱えている。糖尿病は20年くらい前からだ。4年ほど前には脳梗塞で半身まひになったが、2週間で治って退院した。
非常にラッキーだったとお医者さんが言っていた。
梗塞を起こした場所が、さほど重大な影響を及ぼさないところだったというのだ。脳の血管造影図などを見せられて、ここがつまっていました、と言われた。
しかしあちこちにこぶがあり、また再発しますといわれた。
地元の病院に入院したのだが、歩けるようになって退院することができた。入院中はお酒が飲めない(あたりまえだが)のでつらかったらしい。
その後もしばらくはやめていた。
しかし半年もたつとまた飲みはじめた。
お金を渡していないのに、家にある本やこまごまとしたものを売って、お金にかえてお酒を買ってきたりする。
痛風もお酒が原因だ。最近酒量が増えていた。
東京の病院で3カ月ごとの検診に行き、血糖値が上がっているといわれて、急に散歩を始めた。半日ぐらい歩き回る。お酒もがんがん飲む。そのあげくの痛風だった。?